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Reunion

また、だいぶ期間が空いてしまいましたね


よくない。でも未だにどこからかこのサイトにアクセスしてくれる人達がいるようで

アクセス欄見ると0じゃないんですよね

嬉しいような、申し訳ないような、、


また少しずつでも書けたら良いかなと思います

この数年間色々なことがありました


拠点も変わり

関わる人も変わり


それでも仲良くしてくれる人はいて

恵まれているなと感じます


何だかんだ最近良くも悪くも落ち着いてきたので

書こうかなと思った次第です


それもありますが、何だろうな純粋に話す人が変わり

環境が変わり 発信の仕方もまた考え

このスタイルをもう一度とってみるのも良いかなと


試行錯誤とまで言えるのかは謎ですが

また私の言葉で紡いでいけたらいいな


自分語り  と聞くと昨今は聞こえがあまりよろしくない印象があります

でも、たまには語りたくなる瞬間ってあるじゃないですか


それがお金を挟み、気兼ねなく話せるのか

はたまた友達に包み隠さず全てを話せるのか


色々あるとは思いますが

私は私に興味を少しでも持ってくれた人に少しでも伝われば良いかなと思うので

この場所でそれをしようと思います


ここに来る人はどんな関係性であっても

私に少なからず興味を持ってくださった方だと思います

ここまで読んだアナタがそうでなかった場合

それは何故なんでしょうかね、気になります




話は変わり

やはりたまに聞かれることが幾つかあって、その中の一つが

「何故その仕事をしようと思ったのか」

理由なんて幾らでもあるし、何なら強引に勧誘されたから

それも間違ってないし

それを断る理由も特になかったから

それも間違ってはいない


世間的に大人に成長したであろう私は

当時色んな理由で始めたんだと思う

特に理由があったり、すごい熱意があったわけでもないんだと思う


しかし、そこに辿り着くまでに

どのような経緯があったのか

今までそれを自分に問う瞬間って無かったなと

ふと、聞かれて応答してる自分の中に

そういえばこうだったんじゃないか?

という疑問が出てきた

話しながらだったが頭の中で記憶を巡らせ

断片を紡いだ


それが徐々に紐解かれていく

そんな感覚は久々だった

それまでの話の流れ、でもあり

繋がりでもあった

そこでの会話の全てが重なり合って

答えが出た気がした


簡潔に述べると

私には「その未来が想像出来なかった」


ただそれだけなのである


つまりは、だ

幼い頃から思い描く将来の自分の姿

そこにサラリーマンとして働く自分の姿が全く想像つかなかったことが全てである


幼いながらの思考回路の中で私は

サラリーマンて何? どんな仕事をしている?

毎日同じ時間に仕事に行き、パソコンに向かい何か仕事をし

同じ時間に仕事を終え、同じ時間に帰ってきて

ご飯を食べ、床に就く


これが考えれば考える程想像が出来なかった

まずどんなものなのか、得体が知れないのもあれば

それが果たして定年や死ぬまで続き退屈しないのか?

甚だ疑問であった


皮肉に聞こえるかも知れないが

私は田舎の少人数のコミュニティで生涯を終えるようなことは

死んでも嫌だった

それが幼き日の記憶


特別裕福でもなく、寧ろ貧乏寄りな家庭で育ったと自負している

それが幼いながらにも劣等感や不安感に繋がっていたのかも知れない


世界は広い

それを日本の片田舎で・・・

その気持ちは消えることは無かった

故に大都会東京で生活するという事はいわば必然だったのかも知れない


大金持ちになりたい

それは抽象的であり曖昧な表現であるが

根本にあるものはそれなんだと思う


少なくとも親よりは良い生活をしたい

が、正解だったのかな


好きな時に好きな物を好きなだけ買える

コンビニやスーパーで値段を気にせず買い物をする

ただそれだけの事が難しく、だがそうなれればと思っていた



何かを我慢する理由が「お金」である事が

凄く嫌だった

世の中は金 なんて言葉がある通り

大抵の物なんてお金さえ払えば

手に入るのである

土地でも美術品でも価値ある物全てには大抵値段というものが付いているからである


プライスレスな事も多い世界

それでも最後はお金な事も多いのが事実なのである


夢の国でさえ決済方法は現金やクレジット、つまりはお金なのである


あそこに行きたい、あれが欲しい

いらないかな?ではなく、お金がない

迷う贅沢など無く 諦める

そう判断せざるを得ない状況が何故か凄く息苦しく自分に対する劣等感でもあった


そう感じていた幼き日、そして最近もまた心のどこかにしまい込んでいたその気持ちが

この時滲み出て 再認識をせざるを得なかった



そこでまたふと現世に想いを馳せる

果たしてあれから何年の月日が流れたのか

果たして私はあれから何か変われたのか

現在どこにいるのだろうか


答えは簡単だった


足りない


人間とは強欲な生き物で

それまでより生活水準が上がったとしても

まだ足りない、まだ足りないと思ってしまうもの

つまりは満足していないという事である


何故ならこの世の全てを手に入れたわけではないからだ

それは極僅かな、一握りの人間だけが味わうことのできる感覚なのかもしれない


その境地に立つことは到底不可能であり、考えずとも脳は理解している


しかしながら、根本に戻ってみた時

既に自分の理想、又は想像していた未来には

近づいているのではないか

そう思うことは出来る


ということは

まだ途中ではあるが

前には進めているのではないか

少しだけ自分を肯定してあげても良いのではないか___?


ほんの少しだけ軽くなった気もする

気のせいかもしれない

そう思い込みたいのかもしれない


それでも現実は思っていた程悪くないのかもしれない


もう少し頑張れる気がした

やらなきゃいけない気がした

理想に走らなきゃいけないような気がした


やはり人というものは

立ち止まってはいけないのだなと思う


時には回り道をし、寄り道もし

足踏みする事だって悪い事ではない

自分の機嫌を取る事が出来るのは自分だと思っている

寧ろ自分の感情までをもそれで抑制し誘導することが全てな気さえする


だから無駄なんて無いと思いたい


結局はあの頃よりも一歩でも前に自分の足が進んでいて

これからも歩み続けようとしているかどうかなのではないか


そう思う事にする



こうして頭の中の何人もの自分達との対談

いや、会議は一旦終わったのである



そこでまず何をするか


そう、また自己満足な 自己中心的な

自分語りをする


またブログを書く


EGOISTになる


それが私が思い立ち行動した経緯である



次の更新がいつになるかはわからない

明日かもしれないし、来年かもしれない


でもそれはきっと

私が私である事を再確認したいのかもしれない


だからその時はまた何か言ってるなアイツって思ってくれればいいのかな



軽く書いて今回は終わらせようと思ったらまさかのかなりの長文になってしまった

いつも何故かこの長文が良いって言ってくれる人のお陰もあって気にせず書いているが

本当にここまで見ている人が何人いるのか

それはシステム上ではわからないから何とも言えないが

読んでくれた人がいるならありがとう


暇つぶしにでもなったならそれでいいのです


またツラツラと言葉を紡ぐので

その時はお付き合いくださいませ




写真とかの方のコンテンツも更新しなきゃなと思っていますので

もしかした近いうちにあるかも?


その時はインスタやTwitter等で報告はしたいと思います



ではまた



会う日まで せいぜい死ぬまで気楽に生きましょうぞ




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